moyamoyagakuseiのブログ

適当にやります。

ダイエットの話~新しい習慣~

最近、TVにてなかやまきんに君がダイエットについて話す番組があったり、日本初の内臓脂肪減少薬が発表されたりした。このブログを書いている私自身もこの一年を通して、40~50kgの減量に成功した。(減量を意識しなくなってから2,3ヶ月経つが今のところは大きなリバウンドはしていない。最低体重より3kgぐらい増えたが、その体重になってからはちゃんと維持できている。)なので、ダイエットについて話していこうと思う。(前置き長すぎ…)

まず、ほとんどの人はダイエットを特別な行動だと考えていると思う。しかし、私はそれは違うと思う。私は、ダイエットを新しい習慣の獲得だと考えている。つまり、人生において、半永久的に続けていくものだと考えている。なので、極端なダイエット(滅茶苦茶な運動、過度な食事制限(断食、○○は絶対食べない、○○しか食べない等々))をしている人は、ある期間が経ったら、ダイエットをやめて爆食いをしてリバウンドや過食症過食嘔吐)を起こしたり、逆に食べるのが怖くなり、拒食症や栄誉失調を起こしたりする。そんなことをしていたら、心身ともに疲弊し、人生がどん底になってしまうだろう…。人生を豊かにするためにダイエットをしたのに、逆効果になったら本末転倒だろう。

では、新しい習慣の獲得とあるが、具体的に何をすればよいのか。簡単に言うと、現時点での自分の習慣の悪い部分を改善すればいいのだ。私の場合だと、日頃から何事にも基本無関心であまり活動せず、休日は、ジャンクフードばっかり食べて、ずっと家でゲームやSNSばかりしていた。こんなだらしのない生活を物心ついたときからしていたのである。そりゃ太るに決まっているだろう。この習慣のヤバさに気づいたある日、まず私がしたことは外に出ることだった。ひきこもりがちだったが、意識的に外に出てみると、ものすごく心地の良い生活になっていった。次に散歩もしてみた。運動はあまり積極的にはしないタイプだったが、太陽の下で散歩をし、汗をかくのが気持ち良かった。そしてだんだん散歩の距離も伸びていった。そして次には、お菓子やジュース、ジャンクフードを食べる機会を次第に減らしていった。食べることが好きだった私は、ジャンクフードばかり食べていたが、瘦せていくうちに味覚が変わり、あまり好きではなかったものがおいしく感じたり、ジャンクフードが格別に美味しく感じなくなった。このように健康的な生活をしていくうちに、気づいたら40~50kg瘦せていたのである。

ここで大事なのは、一気に習慣を変えないこと。自分が無理なくできる範囲で少しずつ変えていき、定着させるのが大事なのである。瘦せた後、私はジャンクフードとかは普通に食べるが、前ほど食べなくなったし、散歩、筋トレも続けている。しかし、それほど辛くはない。なぜなら、この習慣が自分の中では当たり前であるからだ。

ダイエットには近道なんてものはない。瘦せる目的は各々あるかもしれないが、やめるタイミングなどないのである。ダイエットは人生が続く限りやっていく習慣なのであるから。

 

幸せとは

暇なので、取り敢えず今回もブログを書くことにした。スマホSNS)やゲームで暇をつぶすのも良いが、ブログの方が何か役に立ちそうな気がするからだ。まあ、どうでもよい前置きはこのぐらいにしておこうか。

さて、今回は「幸せ」について語っていこうと思う。「幸せ」に正解などないと思うが、まあいいだろう(適当)。

ゲームをしたり、SNSをしたりするのは手軽に「楽しみ」を感じることができる。しかし、私はこれらのことをしていても楽しいは楽しいのだが、何故か物足りなく、虚しく感じることがある。それはたぶん、自分の将来にあまり役に立たないと、心のどこかで感じてしまっているからだと思う。そのせいで純粋に楽しめなくなっているのだと思う。知らんけど。このことから、楽しいといったプラスの感情=幸せではないと思うようになった。

じゃあ何が幸せなのか。多分答えなどないのだろう。私があくまでこれらのことを幸せだと今のところは思えていないだけで、純粋にこれらを楽しめていたときは、十分に幸せを感じていただろうし、これらで幸せを感じることができる人を否定する気もないし、むしろ羨ましく思う。ただ、私のように何をしても純粋に楽しめず、幸せを感じることが難しくなっている人もたぶんいるはずだ。

色々と調べているうちにわかったことがある。人は「ドーパミン」というホルモンが分泌されることによって快楽を得ているらしい。普通、ドーパミンは楽しいことをしているとき、褒められたとき、目標を達成したとき等で分泌される。これが幸せであるのだろう。今の時代、スマホやゲーム、SNSといった手軽に楽しめるものや承認欲求を満たせるものが大量に存在している。だからゲームやインターネットといった手軽にドーパミンを分泌できるものに依存してしまう問題が起こっている。私もきっと何かに依存しているのだろう。

ドーパミンには目新しさを感じると分泌されるという作用もあるという。今の時代、自分の興味のあることに関して、目新しさに困ることはあまりないないだろう。しかし、人によっては「飽き」「マンネリ」というものがある。今まで手軽な方法に快楽を得ていたが、その方法に飽きてしまった。つまり、今の私のような状態になると、快楽を得られなくなるのだろう。

人はできるだけ楽をしたい生き物だ。飽きてしまっても、また手軽なことで快楽を得ようとするだろう。ただ、私はふと思ったのだ。万が一、手軽な快楽が尽きてしまったら、もう二度と快楽を感じることができないかもしれないと。そう考えているうちに、手軽にプラスの感情が手に入る快楽は、本当の幸せではないと思った。

では、何が本当の幸せなのか。

今から言うことは、私一個人の考えに過ぎないのだが、「将来、何かしらの形で役立つことや行動」「自分をより良くすること」「目標達成に向けたことや行動」、いわゆる、努力や苦労といったことから快楽を得ることが本当の幸せだと思う。これらは決して手軽なことではなく、面倒くさいものだと大半の人は考えるはずだ。けれど、過程が面倒だからこそ、そこから刺激を受けたときに今まで感じたことのない快感を感じるはずだ。実際、今、私はスマホやゲームをせずに、将来何かの役に立つと思うついでに、自分を満たすためにブログを書いている。自分をより良くするために筋トレもしている。どれも地道で、面倒なことだが、結果が出たりすると素晴らしく心地が良い。

今、幸せを感じることができない人は、敢えて苦労してみてはいかがだろうか。

※学生の分際で偉そうに語ってしまって申し訳ございません。

人として何かマズい感じがした話

最近、何をしても物足りなかったり、楽しくなかったりする。(友達と一緒にいるときは、まだマシなんだが…)

今まで好きだったファストフード、ゲーム、インターネットにあまり魅力を感じなくなってしまった。まあ、体の健康には良いのだろうが…。

趣味嗜好がインドアよりからアウトドアよりになったのかと思い、滅茶苦茶運動をした(4,50kg瘦せた)が、それも飽きたというかなんというか、心から楽しめなくなった。

一応、私は学生だ。人生まだまだこれからなのに人生の楽しみ(趣味や没頭できること)がほとんどなく、暇でつまらなくなってしまった。

暇になると、人はどんどん堕落していく。暇だから何かしたいけど、行動に移す気力がわかない。そんな自分がどんどん嫌になり、嫌だから変えたいのにできない、そんな負のスパイラルにはまっていた(いる)。メンタルがどんどん沈んでいった。

「このままだと本当に人として何かマズい気がする」と本能的に感じた。

とりあえず、散歩と筋トレを再開し、筋トレに関しては以前よりも集中してやるようにした。最初の方はまだ楽しかったが、最近はマンネリ化して少し面倒に感じることもある。けれど、健康と自分磨きのために続けている。

イラストも描いてみた。創作活動には達成感がありやりがいがある。しかし、落書きやラフ画までは楽しくできるのだが、線画や色塗りとなるとそううまくはいかない。技術不足なため理想とはかけ離れたものになってしまう。「線画と色塗りはやらなければいい」と思ったが、無駄に完璧主義な性格なので完成させなきゃ気が済まなかった。しかし、現実は甘くはないので理想的なものには仕上がらない。理想と現実のギャップから、萎えてしまい面倒に感じてしまうこともあるからか、イラストはあまり描かなくなってしまった。

そして今日、新たな刺激を求めて、初めて自分からPCを触ってblogを書いてみた。自分のblogがちゃんとしているのか知ったこっちゃないが、とりあえず書いてみた。ついでに、この変なメンタルのモヤモヤをぶちまけたいと思った。普段、PCなんて使わないから手が疲れたぞい…。

blogにはまれるかどうかは今日のところは分からないが、気が向いたらまた書いてみようと思う(私は非常に飽き性である可能性が高い)。てか、このblogが読まれてるか分からないが。

何か疲れたので、気分転換にとりあえず買い物と筋トレをしてくるので今回はここで締めるとするか。

刺激が欲しいぜ...