moyamoyagakuseiのブログ

適当にやります。

幸せとは

暇なので、取り敢えず今回もブログを書くことにした。スマホSNS)やゲームで暇をつぶすのも良いが、ブログの方が何か役に立ちそうな気がするからだ。まあ、どうでもよい前置きはこのぐらいにしておこうか。

さて、今回は「幸せ」について語っていこうと思う。「幸せ」に正解などないと思うが、まあいいだろう(適当)。

ゲームをしたり、SNSをしたりするのは手軽に「楽しみ」を感じることができる。しかし、私はこれらのことをしていても楽しいは楽しいのだが、何故か物足りなく、虚しく感じることがある。それはたぶん、自分の将来にあまり役に立たないと、心のどこかで感じてしまっているからだと思う。そのせいで純粋に楽しめなくなっているのだと思う。知らんけど。このことから、楽しいといったプラスの感情=幸せではないと思うようになった。

じゃあ何が幸せなのか。多分答えなどないのだろう。私があくまでこれらのことを幸せだと今のところは思えていないだけで、純粋にこれらを楽しめていたときは、十分に幸せを感じていただろうし、これらで幸せを感じることができる人を否定する気もないし、むしろ羨ましく思う。ただ、私のように何をしても純粋に楽しめず、幸せを感じることが難しくなっている人もたぶんいるはずだ。

色々と調べているうちにわかったことがある。人は「ドーパミン」というホルモンが分泌されることによって快楽を得ているらしい。普通、ドーパミンは楽しいことをしているとき、褒められたとき、目標を達成したとき等で分泌される。これが幸せであるのだろう。今の時代、スマホやゲーム、SNSといった手軽に楽しめるものや承認欲求を満たせるものが大量に存在している。だからゲームやインターネットといった手軽にドーパミンを分泌できるものに依存してしまう問題が起こっている。私もきっと何かに依存しているのだろう。

ドーパミンには目新しさを感じると分泌されるという作用もあるという。今の時代、自分の興味のあることに関して、目新しさに困ることはあまりないないだろう。しかし、人によっては「飽き」「マンネリ」というものがある。今まで手軽な方法に快楽を得ていたが、その方法に飽きてしまった。つまり、今の私のような状態になると、快楽を得られなくなるのだろう。

人はできるだけ楽をしたい生き物だ。飽きてしまっても、また手軽なことで快楽を得ようとするだろう。ただ、私はふと思ったのだ。万が一、手軽な快楽が尽きてしまったら、もう二度と快楽を感じることができないかもしれないと。そう考えているうちに、手軽にプラスの感情が手に入る快楽は、本当の幸せではないと思った。

では、何が本当の幸せなのか。

今から言うことは、私一個人の考えに過ぎないのだが、「将来、何かしらの形で役立つことや行動」「自分をより良くすること」「目標達成に向けたことや行動」、いわゆる、努力や苦労といったことから快楽を得ることが本当の幸せだと思う。これらは決して手軽なことではなく、面倒くさいものだと大半の人は考えるはずだ。けれど、過程が面倒だからこそ、そこから刺激を受けたときに今まで感じたことのない快感を感じるはずだ。実際、今、私はスマホやゲームをせずに、将来何かの役に立つと思うついでに、自分を満たすためにブログを書いている。自分をより良くするために筋トレもしている。どれも地道で、面倒なことだが、結果が出たりすると素晴らしく心地が良い。

今、幸せを感じることができない人は、敢えて苦労してみてはいかがだろうか。

※学生の分際で偉そうに語ってしまって申し訳ございません。